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2010-05-12

_ [presentation][commons][English] Copyright in the Digital Age and Its Impact on Scientific Data Sharing (日本語字幕付き)

Copyright in the Digital Age and Its Impact on Scientific Data Sharing by Lawrence Lessig

2009年10月5日に開催されたシンポジウム「科学における情報の上手な権利化と共有化」(東京大学弥生講堂一条ホール)におけるローレンス・レッシグ教授(Lawrence Lessig, Harvard Law School, Professor)の講演”Copyright in the Digital Age and Its Impact on Scientific Data Sharing”の字幕付き動画です。情報や創作物の流通が安価で簡便になったインターネット時代における著作権のあり方、中でも科学の発展に適した著作権のあり方についてご講演いただきました。内容は、これからの科学の発展にも大きく影響するテーマだと思いますので、より多くの方にご覧いだけるよう英語講演に日本語の字幕を付けました。

手軽にコメントできるニコニコ動画版はこちらです。字幕なしの動画はこちらからご覧いただけます。

YouTube 版はこちらです

This video is a lecture about copyright and data sharing in science entitled "Copyright in the Digital Age and Its Impact on Scientific Data Sharing" by Prof. Lawrence Lessig from Harvard Law School in "Balancing IP Protection and Data Sharing in Science" symposium (IP: Intellectual Property) at The University of Tokyo on Oct. 5th 2009. The abstract is here. You can also watch the YouTube version

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Keywords: copyright,elephant in the room,著作権,共有,フェアユース,クリエイティブ・コモンズ,ローレンス・レッシグ

リンクをクリックすると、その場面から動画をご覧になれます。

過分なご紹介ありがとうございました。しかし、非常に重要なことが1つ抜けております。

それは、私が、また今回日本に、東京大学に来ることができて非常にうれしく思っているということです。

7年前、2002年の秋に東大に来たことがありまして、その時に中山先生とお話しする機会を得ましたが、それ以来、また来ることができて非常にうれしく思っております。

まず、3つの事例の紹介から始めたいと思います。

これらの事例によりまして、伝統的な知的財産の保護という考え方と、

我々がやっと利用法について理解を始めた革新的な新しいデータ技術の間にある問題の枠組みが提供できればと思っております。

話の中心は著作権です。はじめに、ある概念をご説明したいと思います。もしかすると日本語ではうまく伝わらないかもしれませんが、アメリカでよく使われる慣用句があります。

それは、『部屋にいる象は忘れられてしまいがち』というものです。

これは何を意味するかというと、非常にはっきりとわかる事実が目の前にあって、我々は気が付くはずなのに、誰もがそれを見落としてしまって議論に入れていないことがある。

その事実が象であると言われているのです。著作権は部屋の中にどっしりと座ったこの象と同じようなものであると思います。

これからこの象について、過去と現在の対比、つまり、著作権について過去の規制がどうなっていたか、現在の規制がどうなっているかという対比をしたいと思います。

過去において著作権で規制されていた部分は非常に小さなもので、創作活動のほんのわずかな部分でした。

つまり文化的あるいは科学的な活動で一般の人々がかかわる分野の中でもほんのわずかな所だけしか対象になっていなかったのです。

これについてジェシカ・リットマン教授は、彼女の著書の『読むことの占有権(排他権)』の中で次のように述べています。

「世紀の変わり目において、アメリカの著作権法は専門的で、整合性に欠けていて、なかなか理解できないものであったが、一方であまり多くの人々やものごとにかかわるものではなかった。」

「もしある人が、書籍、地図、海図、絵画、彫刻、写真や楽譜の著者や出版社あるいは、脚本家、演劇の製作者、印刷業者だったとすれば、

確かに彼らの仕事には著作権はかかわっていた。」

ところが、「書店やレコード会社、映画のプロデューサ、音楽家、学者、あるいは国会議員や一般の消費者にとっては、

彼らの仕事はまったく著作権の問題にかかわることなく過ぎていくこともありえた。」

しかし、そこから時代は急速に変わっていきました。なぜかというと、現在、著作権は非常に幅広い、一般的な活動にかかわるようになってきたからです。

これまでは、まったくかかわりのなかったようなところにも関与してきました。これもリットマン教授が言っています。

「90年経ってアメリカの著作権法はさらに専門的になり、整合性に欠け、理解が難しくなった。

しかし、更に重要なことはいまや全ての人、すべての物事に著作権はかかわるようになったということである。」

「テクノロジーは、法律が追いつく前に、複製や伝送の行為が繰り返し実施されるような様式を開発してしまい、

これらの著作権にかかわる可能性のある行為は一般的な日常の取引の中にすでに取り込まれている。」

つまり、「今では、著作権法に触れることなしに“1時間たりとも”過ごすことさえできなくなった」というのです。

しかし、なぜそのようなことが起きたのでしょうか。著作権法があてはまる対象が非常に多くなったからです。

そのようになった理由は技術革新です。技術革新は、著作権法の構造にも、デジタル技術の構造にも影響するのです。

著作権が複製物、コピーと言われるものを規定する法律であることが根幹であれば、

アナログの世界では、多くのクリエイティブな作品の使用は著作権とはかかわりない、つまり、著作権の問題を引き起こすことはなかったのです。

しかしながら、デジタルの世界においては、クリエイティブな作業、ものを扱う時に著作権にかかわらないものはほとんどなくなり、

実際、作品を扱う時には、ほとんど著作権法が適用されるようになってきたという違いがあるからです。

例えば、物としての本を考えてみましょう。

これが、あらゆる本の使用法を表しているとしますと、その中には形の上では著作権法で規制されていないところがあります。

本を読むこと。これは本を公正に使用することではなく、本を自由に使うことです。本を読むことでは複製物は生まれないからです。

誰かに本を渡すこと。これも公正な使用ではなく自由な使用になります。けっして、複製物を作ることにはならないからです。

本を売ることは、アメリカの著作権法のもとでは保護の対象から除外されています。というのは本を売ることは、複製物を作ることとは違うからです。

また、本を枕にして寝ることも複製物を作るわけではありませんから、著作権法は関係ありません。これらの一般的な使用は著作権法の対象にはなっていません。

しかし、著作権法にはいくつか規制の対象となっている使い方があります。これは、偉大な新しい作品を作ってもらうための動機づけのためです。

ある本を出版したいのであれば、著者の権利を譲り受ける必要があります。著者の独占的な権利が、独創的な作品を生み出してもらうためには必要だからです。

アメリカでも、また他の国でもそうだと思いますけれども、その中で非常にわずかな例外が存在していて、フェアユース(公正な利用)と呼ばれています。

つまり、公正な使用であればこれは自由に認めるが、そうでなければ規制の対象になるというものです。

すなわち使用に際しては、“規制の対象外”、“規制の対象”、そして“フェアユース”があります。

さて、そこで、ネットの時代になりました。ネット上では、どのような使用法もコピーを生み出しています。

どのような使用法であっても複製物が作られるということは、この3つの関係が非常に大きく変わるということです。

なぜかというと、様々な文化的遺産へのアクセス方法を提供する基盤が変わったからです。つまり、著作権法の働き方が非常に大きく変わったのです。

ここで非常に重要なのは、このような変化が起きたのは、誰かが国会で、あるいは米国議会で何かを言って、

そして法を作って、こういう風に変えましょうと言ったからではないということです。技術そのものが変わったのです。

これこそが部屋の中に鎮座している象なのです。我々はこの象に気がつかなければなりません。

この著作権法は、もともと今とは全く異なった目的のために作られた法律です。

当初はそういった新たな適用は考えられていなかったにもかかわらず、これまで再検討されることなく様々な状況にあてはめられるようになりました。

例えて言うなら手術メスの代わりに斧を使うようなものです。

これが、1つ目の事例でした。次に2つ目の事例です。

『パラダイムケース(模範事例)』という概念がアメリカにはあります。これは、法が考えられたときの想定事例を指します。

合衆国憲法修正四条には、不当な押収あるいは捜査の対象にはならないという市民の権利がうたわれていますが、

当初この改正条項がパラダイムケースとして考えていたのは、捜索権限を与えること、捜索令状です。

警察官が不法に侵入することを想定していましたから、警官の不法侵入とは関係ない盗聴は当初は対象になっていませんでした。

また、合衆国憲法第1条第8節(11)では議会は開戦を宣言できるとなっていますが、

その時に考えられていたパラダイムは、軍隊が実際にそこに行って地上で戦うということです。

このような人がかかわる戦争をまったく念頭に置かないままに法律は作られていました。

あるいは、合衆国憲法第1条第8節(8)、これが、今日のお話の中心になりますが、著作権についても同じことが言えます。

つまり、科学の進歩を促進するために作られた法律だったのが、今ではそれ独自のパラダイムケースを持つようになりました。

そして、そのパラダイムケースではこのようなクリエイター、こういったプロが対象だったのです。

こういったプロは、創造性のビジネスモデルの一環として、自分の作品の複製物、あるいはその分布をコントロールできる独占的な権利が必要でした。

このビジネスモデルは、利益を中心に考えていました。

そして、プロは著作権によってその利益を擁護しよう、守ろうとしていました。こういった人たちをプロの音楽家、あるいはアーティストと呼びます。

さて、著作権法の前提としては、十分な利益をこのクリエイターに確保できなければ創造性が失われてしまうであろうというのがその当時のパラダイムケースだったのです。

もともと法律が作られたときには、そのようなものに焦点を当てていました。

しかし、明らかに全てのクリエイターたちは同じ創造性のビジネスモデルに従っているわけではありません。

憲法修正四条や戦争権限法と同じようにここでは、著作権のパラダイムケースとして、重要なケースは無視され、全く考えられてもいないのです。

例えば、アマチュアのクリエイターのことを考えてみてください。

アマチュアっぽい創作をする人たちのことを言っているのではなく、

創作をすることを愛しているからやるのであってお金のためにやっているわけではない人たちのことを想定しています。

彼らはクリエイターであり、創作をしています。私たちの文化にとって創造性は重要で、特に、アメリカでは古い時代においてより重要でした。

これは、オルダス・ハックスリーです。1927年の写真ですが、このように言っています。

「機械が出現する前、男も女も何か楽しみたいと思ったら、例え下手であっても自分自身がアーティストになるしかなかった。」しかし、

「今では、黙って座ってプロの人たちに楽しませてもらっている。それも機械の力を使って。」

「一般的な芸術、文化がこのような受動的な環境の中で繁栄するとは思えない。」とも言っています。

そして、その20年前、ジョン・フィリップ・スーザもアメリカの首都、議事堂で似たようなことを言っています。

いわゆるフォノグラフ、レコードプレーヤーについて証言をするように言われた時です。

「このようなしゃべる機械はこの国の音楽の発展を阻むだろう。」

「私が少年のころは、どの家の前にも夏の夜になれば若い人たちが集って、その時の流行りの歌や古い歌を歌ったものだ。」

「今では、この悪魔のような機械が夜も昼も鳴り続けている。」

「私たちは、もう声帯を失ってしまうだろう。声帯は、進化の過程において消えてしまうだろう。

ちょうど人間がサルから進化する過程で、尻尾を失ったのと同じである。」スーザはこのように言っています。

この光景を思い浮かべてみてください。若いひとたちが集っていて、当時の歌あるいは古い歌を歌っているその姿です。

これは、文化の絵です。受身ではなく、積極的に文化にかかわろうとする姿です。

アマチュアの人たちの創作活動が、当時の文化にとっては重要なものでした。

プロの音楽家であるスーザ、彼は作曲家であって当時の演奏家としても有名な人でしたが、

このプロの人間が、米国内での文化の広まりのためにはこうしたアマチュアの人たちが重要であると考えたのです。

これが米国でしばらく前に見られたことです。

でも、今でも、米国に比べてあなたたちの文化では生き生きと残っているものがあります。そのひとつの例が、日本で非常に繁栄している「同人誌」です。

同人誌の世界では、アマチュアの文化がプロの文化も席巻する勢いで文化の広まりに貢献しています。こうしたアマチュアの人たちもクリエイターであると私は言いたいのです。

彼らも独自のビジネスモデルを持っています。独自のエコロジーがあってその中でクリエイティブな活動をしているのです。

しかし、排他的な権利のモデルは彼らのエコロジーとはそぐわないのです。

こうしたクリエイターの人たちは、お互いに共有をし、批判をし、そして他の人が作ったものの上に作り上げ、そして遊ぶのです。

これらのことをさせないというモデルは彼らのエコロジーの中には無いのです。

ここが明らかになったポイントです。以下の点について留意しなければなりません。

全ての創造はそれぞれのエコロジーの中で行われます。そして、それぞれのエコロジーにはそれぞれ異なるビジネスモデルがあります。

ですから、著作権のモデルも、あるものにとってよいものでも、別のものにとっては危害を加えるだけということもありえるわけです。これが2つ目の事例でした。

では、3点目に移ります。

私は、弁護士以外の人たちが法律に対していかに敬意を持っているかにいつも驚いてしまいます。

別に法律を尊重するなと言っているわけではありませんし、従うなというつもりもありません。

ただ、私は弁護士以外の人たちがいかに“法律とはすごいものである”と考えているかということに驚くのです。

というのも、弁護士や特に法学の教授は同じような敬意を法律に対しては持っていません。

私たちはつい懐疑的な目を法律に向けてしまいます。

そして、常にこの法律は理にかなっているかどうかと問い続けます。法律が理にかなっていると仮定することはなく、必ず検証します。

そして、それが理にかなっているのであればよいことであり、もし理にかなっていなければそれは変えるべきである、と私たちは主張します。

特にこれが言えるのは、著作権法ではないかと思います。なぜかと言えば、この法律の範囲、その網羅する範囲が大きく違ってきているからです。

著作権法の設計者の最初の意図とも違うし、議会が全く想定していなかった形で法律が使われているので、ここでは、私たちは懐疑的になるべきだと思うのです。

敬意を持たないのではなく、懐疑的になる。つまり、法律に対して法律がまだ権限があることを証明せよという態度です。

これが3つ目の事例です。ここで、事例の紹介は終わりにします。

さて、ここから先私の議論を展開したいと思います。まず、第1点です。

ここで、ちょっと考えていただきたいことは、創造性のエコロジーが科学の中でどう存在するのかということです。どんな姿をしているものでしょうか?

どんなビジネスモデルが科学にはあるのでしょうか?どういうエトスがあって科学者は活動をするのでしょうか?

社会科学者のロバート・マートンは科学者のエトスについてはっきりとした概念を持っていました。それをコミュニスティック、共産主義的と呼びました。

「財産の共有について、一般的にまた、広義に考えると」

「科学が発見したもののほとんどは社会的な共同作業の結果出てきたものであって、これはコミュニティーのものである。」

「これは、共通の遺産をなすものであって、個人の生産者の権利は、非常に限定されたものとなる。」

「財産権は、科学においては、科学的な倫理によって非常に小さく抑えられるのだ。」という考え方を示しています。

「科学者の主張できる“知的財産”は、発見者の認知と、発見に対する敬意だけに限定される。」

「これは、もし、ほんの少しでも制度が効率的に機能するのであれば、知識という共通の財産への寄与に見合うべきものである。」そして、

「“コペルニクス的なシステム”や“ボイルの法則”のようなエポニミー(冠名)は、記憶されるものであって、記念碑的なものである。」とまで言っています。

バートンが言っているのは、科学者であるためには共産主義者でなくてはいけないということではありません。

科学のビジネスモデルあるいはエコロジーとは、排他的な権利によるものではないということです。

科学のエコロジーは、ブリトニー・スピアーズの創造性のエコロジーとは違います。

むしろ何に近いかと言えば、ジョン・フィリップ・スーザがロマンチックにも語ったものに近いのです。

インセンティブが無用であるというわけではありません。もちろん、インセンティブには意味があります。ただその機能の仕方が違うのです。

さらに、対価を求めるという考え方、排他的な権利を求めるというやり方は、実は科学の中の知識のエコロジーにとっては害を与えるものかもしれません。

この点は、昔から知財権を語る人たちが皆分かっていたことです。

その中でも有名な一人、ノーベル賞も受賞したエコノミスト、ロナルド・コースもそのことを認めていました。彼は、もっとも有名な論文の中でこのように書いています。

「全ての財産権は、リソースを使おうとする人々の能力を妨害するものである。」

「であるならば、妨害することで得られるものの方が、妨害による害よりも大きくなるよう保証しなければならない。」

私は、著作権がブリトニー・スピアーズ型であれば、科学においては害の方がより大きくなると考えます。

次に第2点です。

もし、そうであるならば、少なくともそういう風に考えられるのであれば、ある程度の抵抗が起こると想定できます。

ブリトニー・スピアーズ型の著作権の考え方を科学者たちに無理強いすることに対する抵抗です。

著作権そのものを否定するのではなく、科学の分野にこのなじまない、帝国主義的な著作権の考え方を無理やり取り入れる前に、

科学とは著作権が適用されうるものであることを証明せよという懐疑的な態度をとるということです。

しかし、もし、そういう懐疑的な態度に期待されているとしたら、皆さんがっかりするかもしれません。

というのも、抵抗するどころか、先ほどの講演の中でも言われた通り、この20年ほどの間は、

この2人の上院議員、バイ議員とドール議員の名前をとった、非常に単純な理想であるバイ・ドール法が施行され、

科学の世界に見返りの考え方を適用してきたのです。そして、これがパラダイムを支配してしまったのです。

ブリトニー・スピアーズ型の創造性の考え方、これは、全くと言えるほど抵抗されることなく取り入れられてしまい、

そして科学者によって懐疑的に振り返られることはほとんどなかったのです。

勇気をもって“おかしいんじゃないか”ということを表だって、力強く言う人はあまりにも少なかったのです。

こうして日本にやってくるのは大変楽しみなことではありましたが、それにもまして私の目的は“こういう考え方はやめて欲しい”とここで皆さんに申し上げることです。

もう、ただ単に信じることを辞めてください。

むしろ、科学者として疑問を持って欲しいと、おとなしくしているのも、先延ばしにするのも辞めて、法律の規制の在り方に疑問を持てと言いたいのです。

みなさんに、その権利の証明書をお渡ししたいと思います。

「この証明書を持っている人は、科学の分野の教育を受けており、現行の著作権法は本当に科学の分野にとって理にかなったものであるかどうかを疑問視する権利を持ちます。」

皆さんよければ、私のサイン入りの証明書をお送りします。ハーバード大学法学教授 ローレンス・レッシグ。この資格証を壁にかけて飾ってください。

本当にこのシステムは理にかなったものであるのかと疑問視するのはあなた方の権利なのです。

なぜならば、科学者が疑問を持たずに、このパラダイムケースと普遍的なケースを混同している法律家に従うことは、科学にとって大変に大きな害となりうるからです。

したがって、法律家ではなく皆さんに科学を守っていただく義務があるのです。

これまでもなさってきたことだと思いますが、皆さんには科学をさらに良くする義務もあるのです。

さて、ここで考えるべき疑問があります。

もしサイエンスのビジネスモデルというものが存在するのであれば、これは、共有に依存するビジネスモデルなので、

先程の先生のお話のように、共有することへの依存度はどんどん高まっていきます。

成果が共有されることに依存し、共有された成果をもとに新しい共有財産が作られて、そして利用する際にいちいち複雑な許可を求めなくてもよいというビジネスモデルにとって、

著作権のパラダイムケースは役に立つのでしょうか?例えば、科学雑誌にとって、これは役に立つものなのでしょうか。

経済的に豊かなアメリカの大学は、

このようなパラダイムケースのモデルあるいはブリトニー・スピアーズのような著作権のモデルを科学雑誌に適用してもあまり問題にはなりません。

お金があるので、ちゃんと払えます。東京大学でも同じでしょう。ちゃんとお金を払えれば、東京大学やハーバード大学での研究は止まりません。

しかし、世界の他の地域であればどうでしょうか?

他の地域では、非常に大きな金額はもちろん、たとえわずかな金額でも各専門誌へのアクセスを限定し、世界の98%ではアクセスできなくなります。

知識の広がりが世界的に損なわれるのです。

大学だけではなく市民にとってもこれは問題です。非常に多額の金額を払わなければ知識を得ることができません。

この問題に遭遇したことがあるので、少し自分の経験を話したいと思います。

3週間ほど前に私の3番目の子供が産まれましたが、

生まれて3日目に黄疸の恐れが強くなり、その夜中に先生から、黄疸がひどいので脳にダメージがあるかもしれない、救急に連れて行って検査を受けてくれと言われました。

そこで、病院に行く途中インターネットを開いて、この黄疸について調べてみました。

そして、アメリカンファミリーフィジシャンというページで記事を見つけて、無料で記事をダウンロードすることができましたので、印刷してこれを持って救急外来へ行きました。

もしかすると黄疸で脳に障害が残るかもしれないと先生は言われていましたが、

救急外来の待合室に娘を抱えて待っているときに記事の中に娘の状態が判断できるような文章を見つけました。

しかし、その部分を読もうとしたとき、こう書かれていました。

「この記事の権利保持者はこの箇所を電子メディアに載せることを認めなかったため、読みたい場合にはオリジナルの論文(印刷版)を参照しなければならない」

病院の救急外来では参照しようにもできません。

このような種類の知識をこのように制限してしまう理由はいったい何なのでしょうか?

ブリトニー・スピアーズの音楽なら別です。偉大なハリウッドの映画製作者の映画の話をしているわけでもありません。

では、なぜか?

もちろん、ブリトニー・スピアーズのモデルが重要なケースもあるでしょうが、しかし、知識へのアクセスを制限した場合の代償は何でしょうか?

この場合、非常に代償が大きいのです。制限することで得るものは何でしょうか?制限することで得る恩恵は、その代償を上回るのでしょうか?

ロナルド・コースの言を借りれば、この知識が無料で提供されていると、占有的なモデルのもとでは得られるはずの何かが、得られないのでしょうか?

著作権を導入することによってアクセスを規制するという科学雑誌の排他権は長い間実施されてきています。もちろん、これはこれで意味のあることです。

これまでの歴史をずっと振り返ってみますと、木を倒して、紙に印刷したコピーを流通してきたわけで、その段階では意味のあることであったと思います。

ここには生産にかかわる経済性の問題があり、著作権というのは必要悪だったのです。アクセスを制限することが必要だったのです。

しかし、いくら必要悪だったとしても、この悪を必要としているのは生産にかかわる経済の問題です。状況が変わったらどうなるか。

その時に我々は、この必要悪は今でも本当に悪なのかを考え、避けることができるのであれば避けなくてはなりません。

これが、科学出版のオープンアクセス運動の中で問われたものです。

科学雑誌やピア・レビューやアクセスを可能にするといった、知識を産む上でこれまで積み上げてきた価値ある行為を残すことが目的です。

さらに、そこでは悪、つまりアクセスに制約を課すことを避けようとしています。

これがまさにパブリック・ライブラリー・オブ・サイエンス(PLoS)の目的で、ジャーナルの流通を促進し、各分野の優れた科学者がピア・レビューを行い、

基となる科学的なデータへのアクセスを無料で保証し、できる限り簡素なライセンスのもとで提供するという運動です。

このようなモデルは次のような疑問を投げかけます。

悪は依然必要だろうか?という疑問です。個人的には、科学者には誰もがこの疑問を持たなければならない、倫理的な義務があると思います。

科学者の倫理的な義務というのは、ブリトニー・スピアーズや他の音楽家の義務とは違うのです。知識に対する普遍的なアクセスを提供するというところで違います。

知識をただ単に生むだけではなく、その普遍的なアクセスを可能にすることが必要であり、その場合に必要な制限は減るであろうと考えられる。

そうであれば、その扱いも変えなければなりません。

また、覚えておいていただきたいのは、どのような形で知識へのアクセスを構築し、そして恒久的に知識へのアクセスを可能にするにはどうすべきか、という疑問に、

法律家はこれまで上手に回答できてこなかったことです。

ここで、これまでに知識へのアクセスについて法律がかかわってきた例を2つあげてみましょう。

まず、出版された本について考えましょう。

出版された本に関する偉大なこと、出版物を規定する法律で大切なことは、これまで出版された本に対しては世界中どこでも誰でもアクセスすることが可能であることです。

図書館から無料で借りて読むことも、古書店からタダ同然で調達することもできます。

本の出版には様々な創造性がかかわっています。

また、この本へのアクセスを守るためのエコロジーもあります。いったん本が出版されれば、その書籍のコピーを著作権法に抵触する心配なく取引きできます。

そして、一定の時間がたてば、それらは公共の場所に収められ、最近では電子的なファイルの形でも、永久に無料で流通することも可能になっています。

このような知識へのアクセスのエコロジーとは異なり、

例えば、中山先生が以前、大変に素晴らしい形で紹介されたフィルムのエコロジーを考えてみましょう。

映画というのは、様々な人々のクリエイティブな要素が集まってできた共同作業の結果です。音楽、ストーリー、映像、これらが全て集まってできています。

これが何を意味するかというと、このような映画の使用や再使用には、あらゆる権利保持者から許可を得ることが必要になるということです。

例えば、私の『フリーカルチャー』という本の中で、スターウェイブ社の例を挙げていますが、1990年代にこの会社はCD-ROM技術の可能性を示そうとしました。

当時は、今はもう過去のものとなったCDディスクこそがデータアクセスの偉大な未来だと考えられていたのですが、

この可能性を示すために、クリント・イーストウッドがこれまで出演、監督、制作した全ての映画のクリップを30秒ずつ集めて一つのCDにしようということが行われました。

12人の弁護士からなるスターウェイブのチームが、丸々1年間かかり、やっとこの権利の問題を解消してCDを作ることができました。

著作権法の問題のみならず俳優協会の問題、その他、再利用を阻む可能性のあるあらゆる権利を解消したのです。

これだけ時間がかかった背景は、我々が作ってきた法体系が、映画製作に関しては再利用を阻むように構築されているからです。ドキュメンタリーになると更に複雑になります。

これは20世紀のもっとも著名なドキュメンタリー作家のひとり、チャールズ・グッゲンハイムですが、

彼の最も有名な映画は、ロバート・F・ケネディー暗殺から6週間後に作られた “ RFKリメンバード”で、この映画はたった1回だけ1968年の民主党全国大会で上映されました。

彼の息子デイヴィス・グッゲンハイムはアル・ゴアの「不都合な真実」の監督で、

それから彼の娘グレイス・グッゲンハイムは、ご自身も映画を作っていますが、チャールズ・グッゲンハイムの100本のドキュメンタリーのキュレーターでもあります。

そして彼女は、父親のドキュメンタリーをDVDにするために過去20年間にわたりなんとか許可を得ようとしてきたのですが、これは非常に複雑でした。なぜでしょう?

ドキュメンタリーは多くの場合、色々な他のソースから取ってきた短い断片を集めて作ります。

例えばCBSの公民権運動に関する映像の60秒を使うために、弁護士が書いたライセンス契約が必要になりますが、その契約には、例えば、

「このライセンスで規定されている使用方法しか認められない」と書かれています。

「これを自分のドキュメンタリーに使うことをフェアユースと言ってはならない」とも書かれています。

それから、「北米の教育目的だけにこの断片を5年間使うことを認めるが、それ以外はダメだ」という規定も導入されています。

つまり、このライセンスの例では5年経つともはやこの映画を配給することはできなくなります。それを可能にするには改めて配給のための許可を得なければなりません。

アメリカの公民権運動についての非常に重要な一連の作品『アイズ・オン・ザ・プライズ』についても、契約にまつわる大きなトラブルが起きました。

製作者の1人、ジョン・エルスによれば「米国の公民権運動の視聴覚資料は実質的にはこれしかありません。」

「しかし、映画の50%は過去の映像などを使っており、多量の音楽などそれぞれ個別に契約しなければならないので、」

「DVD化するためには新たに50万ドル必要なことが分かりました。」

これが意味することは、非常に多くのアメリカのドキュメンタリー映画が文字通り“消えて”しまうということです。

なぜなら20年もたてば硝酸セルロースフィルムがだんだんと劣化しますし、

その間、最初の映画よりも広く配給するために必要な権利の問題を解決する経済的関心や機会を誰もが持たなくなるからです。

本とドキュメンタリーフィルムとはどう違うのでしょうか?

まず、権利の制度が違います。どのような制度のもとで作られたかが違います。どのような制度であれ最初にそれぞれの作品を作った時には権利上の問題はありませんでした。

しかし、アクセスや再利用の権利を確保することを考えますとガラリと変わってきます。

例えば、本はアクセスや再利用はいつまでもできますが、ドキュメンタリーのフィルムについては、全くその権限がありません。

こうした違いは法律家によって作られたルールによるものなのですが、ルールを作った人はこの将来的な、技術的なチャンスを全く考えていなかったのです。

DVDがあればこの作品へのアクセスがもっと簡単になることが、作品を作った当時は分からなかったために、

結果的に最初に作ったルールの仕組みがアクセスを法的に阻んでしまっているのです。

同じようなことが、科学の分野でも見られるようになってきました。

ご存知かもしれませんが、例えば、アレン脳科学研究所という素晴らしい研究所は、トランスジェニック・マウス研究のデータベースを持っています。

様々な遺伝子的にコントロールされたマーカーが、遺伝子組み換えしたマウスの脳の中でどのように出現したかについて包括的解析を行ったデータベースです。

(私には何のことが分かりませんが、きっと重要な意味があるのでしょう)

そこで、サイエンス・コモンズのメンバーが、このデータをこのサイトから取ってきてグーグル・マップに入れたらどうだろう、

そうすれば、こうしたマーカーのマッピングができるはずだ、意味のある形の地図ができると考えて、

グーグル・マップとその機能を使ってモデルを作って、地図化していきました。

この結果が素晴らしかったので、一般的になぜこれを皆やらないのか、出来ないのかと思いました。

この研究所の人たちにグーグル・マップで作成した地図を見せたところまでは良かったのですが、そこに弁護士たちが出てきました。

なぜなら、このデータベースの中のデータはすべてライセンスがかかっていて、それを阻んでいるからと言うのです。サーチエンジンなどにかけることを禁止しているのです。

ドキュメンタリーフィルムのモデルを科学に拡大してみれば、どういう状況かわかると思います。

排他的権利があまりにも限定的に定義されているので、今まで意図されなかった新しい使用法が出てきたとしても、それが使えない。科学の分野でも同じなのです。

最初の講演の先生もおっしゃっていましたが、色々なイノベーションが出てきて、せっかくいい考え方が出てきたのに合法的にはできないことになってしまうのです。

現行の著作権でいう違法という考え方は、そのまま科学にはあてはめられないようです。

私たちは、科学研究の新しい時代を非合法的な活動のうえに築くわけにはいきません。

とすると、科学の前進の機会を阻む法律の混乱状態を避ける方法を考えなくてはならないのです。

ここで議論を終えて、次に何をすべきかを考えます。

私たちは、このプロセスをなんとか助けることができないかと考えていました。2002年、東京大学からサンフランシスコに戻ってクリエイティブ・コモンズを立ち上げました。

クリエイティブ・コモンズは、ユーザーではなく、クリエイターや作家の人たちが自分たちのコンテンツの使われ方を自由に決められる簡単な方法を考えました。

全ての権利を保護するのではなく、一部の権利を保護するモデルです。作家の権利を一部は認め、一部は放棄するものです。

私たちが作り上げたモデルでは、限定的ではあるけれども、共有したり、再編集したり、その両方ができる自由度のルールを決める一方で、

商業利用禁止や、原作の利用における自由度などを派生物は継承しなくてはならないという制限(シェアアライク)、あるいはその組み合わせという制限のルールを決めました。

この自由と制限の組み合わせを選ぶと、適切なライセンス方式を得ることができます。ライセンスは、著者の表示のみを求めるものから最も厳しい制限のものまで色々あります。

これらのライセンスはいずれも3つのレイヤーで構成されています。

まず、誰にでも分かりやすい約款があります。

一般の人たちにわかりやすいように、どういうルールでこのコンテンツを使えるかが書かれており、アイコンをクリックしますとそのルールなどが出てきます。

一番下のライセンスリンクをクリックしますと、今度は弁護士向けの分厚い文書が出てきます。

野口祐子さんのような各国の優秀な弁護士の方々が書かれた法的な拘束力のあるルールを表しています。

そして、私はこれが一番大切だと思っておりますが、もう1つが、機械が分かるRDF書式のルールです。

作品やコンテンツをどのように使ってよいかどうかを機械が判断することができる様式です。

2002年に立ち上げて以来、クリエイティブ・コモンズのライセンスを持つ作品がたくさん出てきました。

例えば、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを持つ一億件もの画像がフリッカーに出てきています。

アーティストの中では、ジョナサン・コールトン、それからナイン・インチ・ネイルズがクリエイティブ・コモンズのライセンスのもとでアルバムを出したりしています。

アルジャジーラも様々なビデオのアーカイブをしており、これらは最も制限がないライセンスのもとで自由に閲覧できるようになっています。

ホワイトハウスもクリエイティブ・コモンズのライセンスのもとで全てのコンテンツを発表しています。

そしてウィキペディアもつい昨年(2008年)クリエイティブ・コモンズ・ライセンスを採用し、この自由なエコロジーのもとでコンテンツを公開するようになりました。

2005年には今度は科学の分野にこれを取り入れてみようと考え、サイエンス・コモンズを立ち上げました。

ここでの目的は、科学における共有に必要なコストを低くする、そして共有することを可能にするインフラを築くことでした。

まず、共有のためのインフラを作ろうと考えました。

一番簡単な方法は、まずオープンアクセスにすることだったので、私たちが作ったクリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいてオープンアクセス技術を作りました。

今では1000以上の科学雑誌がこのライセンスを使ってオープンアクセスにしています。

また、データという観点からもこれができるようにしました。法的なインフラを作って、不必要な法的な制限をデータに設けないようにしました。

通常のクリエイティブ・コモンズ・ライセンスのもとで得られる自由度よりももっと自由になっています。

CCゼロというプロトコルがあるのですが、これは“データベースだろうと著作権だろうと、私が持っているとみなされるであろう権利は全て放棄する”という考え方です。

これは、データを使う際に研究者たちが疑問に思うあらゆる制限を取りさる法的なインフラです。

そして共有を可能にする技術的なインフラもあります。RDFaというフレームワークは、データの意味理解のためのインフラの構築を簡便にします。

3つ目として、様々な研究素材、バーチャルではなく実際の実験材料の共有もできるようにしました。

マテリアル・トランスファー・アグリーメントがありまして、先程のライセンスと同じで3つのレイヤーになっています。

研究所間での実験材料の移動を簡便にし、またその際に弁護士も余り絡むことなく一番複雑でない形でできるようにしました。

これら3つのインフラの目的は、科学者間の共有を簡単にしよう、それによってマートンが言っていた科学者の行動規範を促進しようということです。

これは私の最近のお気に入りの例で、みなさんもご存知かもしれませんが、パーソナルゲノムプロジェクトでも大規模なゲノミクスの研究が今後、可能になります。

このプロジェクトでは、1. 全遺伝子の配列(現在は10人分を公開し、さらに1000人以上分が解析待ち)

2. 医療情報(カルテではなくてそれぞれの人をインタビューして得たもの)、

3. 幹細胞(それぞれのヒトの細胞を様々な研究室で使用可能)を収集しています。

そして、遺伝子配列および医療情報についてはCCゼロプロトコールに基づいて公開され、

幹細胞はCCマテリアル・トランスファー・アグリーメントに従って利用できることになっています。

このように、重要なゲノムに関する情報を、完全にアクセス可能な形で公開されたプロトコルに基づいて利用できるようになっています。

クリエイティブ・コモンズは知財権(IP)反対運動ではありません。私たちは、うまく機能しない、悪いIPには反対です。

“悪い”というのは科学の進歩を阻むような考え方です。

必要なところではIPを使うべきであると思っていますが、不必要な所では、なんとかその知財権を回避したいと思っています。

IP反対なのではなく、むしろ私たちはIP賛成なのです。きちんと効果的にIPシステムが機能するのであればそれはよいと考えています。

IPは、技術の変化によって生まれた意図していなかった結果に対応するための必要な装置を配置したときに、利益を最大化し、そして害を最小化するものだと考えています。

ここでいう必要な装置とは、著作権法のもとでは、“フェアユース”と呼びます。

これはよく議論されることなのですが、フェアユース条項とは自由にあるいは無料で得られる権利のことなのか?

ブリトニー・スピアーズの音楽をコンピュータや車のオーディオなどにコピーすることがフェアユースなのかどうか?

これは大事な議論ですが、私がもっと大事な議論だと考えるのは次の点です。

特定の場でのルールの適用に柔軟性を持たせる方法としてフェアユースが使えないか。

つまり、適用する場によってはルールがうまく機能しないケースもあることを認識して、特定の場でのルールの機能に例外を許容するということです。そして、

特にもともと意図しなかったような形で利用しようとする場合、こうした不完全なシステムのコストを最小化するのです。

本日の最初の講演の例を考えてみてください。

表とか索引を教科書から取って利用する革新的な使い方を考えたとしても出版社がその使い方に簡単に許可を出さない、そのことも問題ですが、

彼らがそんな利用法を考えたこともなかったことが根本的な問題なのです。

なかなか許可が得られなければ革新的な使い方を実験することもできません。でもこのフェアユースという考え方のもとでは、そうした実験も後押しされるのです。

ですから、革新的な使い方を考えた時にこそ、部屋の中にドーンといる象のことを考えて欲しいと思います。

著作権法が非常に安定していて、そして技術が全く進展しないのであれば、こうした例外を求めることは必要でないかもしれません。

しかし、今、技術はどんどんラジカルに変わっています。そうすると、変化に対応できるようなインフラが必要になります。

このフェアユースの考え方こそがそのインフラであると思います。

ここからまとめに入ります。

まず、弁護士というのは、特定のパラダイムによって目を覆い隠されてしまっていて、明らかなことでもつい見過ごすこともあることを皆さんにわかっていただきたいのです。

今現在の著作権制度は、例えば、ブリトニー・スピアーズの権利を守るために作られたのであって、

必ずしもこういう人たちの理にかなったものではありません。

だからと言って、著作権そのものに疑問を呈しているのではなく、

私たちが疑問視したいのは、著作権はすべてに当てはまるという考え方、どんな状況であっても同じようにあてはめるべきという考え方です。

では、誰がそういう疑問を呈するのか。それは科学者たちであるべきだと思います。

科学者たちは自分たちの権利をきちんと認識し、そして法律を疑問視する、そして現在の法律の在り方はおかしいということを考えなければならないと思うのです。

我々のような弁護士たちが作りだしたこの状況は、おかしいと。

おかしいからこそ、部屋の中にいる象にも気がつかないという状態になってしまうのです。

以上です。ありがとうございました。


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